「砂むし温泉に入ってみたい」「桜島を目の前で見てみたい」と言い続けて、何年経っただろう。夫はそのたびに「いつかね」と笑っていたけれど、まさか本当に1ヶ月も行かせてもらえるとは思っていなかった。
定年まであと数年というタイミングで、夫がまとまった休みを取ることができた。「鹿児島に1ヶ月、行ってみようか」と言われたとき、「えっ、本当に?」と聞き返してしまった。冗談じゃないとわかった瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
子育てが終わり、日々の生活が落ち着いてきた頃から、夫と二人でゆっくり旅をしてみたいとずっと思っていた。でも現実は、週末に少し遠出するくらいがせいぜいで、長い旅行はなかなか実現しなかった。
だから今回の話を聞いたとき、旅の嬉しさと同じくらい、夫が私の言葉をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しかった。鹿児島への憧れを、ずっと心のどこかに持っていてくれたんだと思うと、それだけで出発前から泣きそうになった。
移動はレンタカーで、という夫の提案にもすぐ賛成した。電車やバスだと時刻に縛られるけれど、車なら「あ、あの道を曲がってみよう」「もう少しここにいたい」が自由にできる。荷物も多い私にとって、それは本当にありがたいことだった。
旅行の費用は、できるだけ賢く使いたいというのは夫婦共通の考えだった。1ヶ月のレンタカーとなると、普通に借りればそれだけでかなりの金額になる。夫は出発前の夜中に「福岡空港 レンタカー 格安」と検索しながら、いくつもの会社の料金を比べていた。几帳面なところは、長年変わらない。
そうして見つけてきたのが業務レンタカー福岡空港店だった。「ナニソレ?」と最初は少し心配したけれど、「1ヶ月の料金が他社と全然違う」と夫が計算して見せてくれたとき、その差の大きさに驚いた。
その分を宿や食事に回せるなら、旅全体の満足度はずっと上がる。節約というより、お金の使い方を整える感覚。夫が時間をかけて調べてくれたことが、この旅を豊かにしてくれた最初の一歩だったと思う。
羽田からの飛行機が福岡に近づいてきた頃、窓の外に玄界灘が広がった。「もうすぐ着くね」と夫に言ったとき、東京の日常がすうっと遠ざかっていく感覚があった。
業務レンタカーのスタッフが空港まで迎えに来てくれていて、荷物をトランクに積みながら「1ヶ月、ゆっくり楽しんできてください」と言ってもらった。その言葉がなぜかとても嬉しくて、「はい、楽しんできます」と自然と笑顔で返せた。
車は清潔で、走り出してすぐに「これで十分だね」と二人で話した。高速に乗り、鹿児島へ向かいながら、助手席でぼんやりと流れる景色を眺めていた。何も急がなくていい。この感覚が、1ヶ月ずっと続くのだと思うと、体から力が抜けていくようだった。
鹿児島市内に入ってフロントガラスの向こうに桜島が見えた瞬間、思わず声が出た。「大きい……」という言葉しか出てこなかったけれど、それが正直な気持ちだった。写真で何度見ていても、本物はまったく違う。空気ごと圧倒される感じがした。
桜島へはフェリーで渡った。車ごと乗り込める短い船旅で、甲板から鹿児島の街と桜島を同時に眺めていると、「ああ、本当に来たんだな」という実感がじわじわと湧いてきた。
島内には溶岩でできた黒い大地が広がっていて、その上に作られた足湯スポットで夫と並んで湯に浸かった。目の前に海、頭上には煙を上げる火口。「こんな景色の中で温泉に入れるなんて思ってもみなかった」と夫に言ったら、「俺もだよ」と笑っていた。
指宿の砂むし温泉は、この旅で私が一番楽しみにしていた場所だった。鹿児島市内から車で1時間ちょっと、薩摩半島の南端に向かって海岸線を走る道がとても気持ちよかった。晴れた日には錦江湾越しに桜島が見えて、助手席でずっとカメラを構えていた。
砂むし温泉は、温泉で温められた砂の上に横になって、スタッフの方に砂をかけてもらうもの。最初は「本当に温まるの?」と半信半疑だったけれど、5分も経つと体の芯からじんわりと熱くなってきた。砂の重さと熱さが全身を包む感覚は、普通の温泉とはまったく違う。
上がった後、「肩こりが消えた気がする」と夫に言ったら笑われたけれど、本当にそう感じた。帰り道、近くの長崎鼻まで足を伸ばすと、薩摩半島の先から見える開聞岳が綺麗で、しばらく二人で黙って眺めていた。こういう「ついでの寄り道」ができるのが、レンタカー旅の好きなところだ。
ある朝、宿の窓から霧島連山が霞んで見えた。「今日は霧島に行こう」と夫が言い、「行こう」と即答した。こういう気まぐれな決断を、二人でできるのが1ヶ月旅行の贅沢さだと思う。
霧島温泉郷は、硫黄の香りが漂う本格的な温泉地で、露天風呂から見える山の景色が格別だった。夕暮れ時に湯に入りながら、空が少しずつ色を変えていくのをぼんやりと眺めていた。「来てよかった」という言葉が、自然と口から出た。
翌朝は丸尾滝へ。温泉水が流れ落ちる珍しい滝で、湯気を上げながら流れ落ちる様子が幻想的だった。ガイドブックには載っていない場所だったけれど、地元の人に教えてもらって立ち寄れた。こういう出会いが積み重なって、旅は深くなっていく。
同じ場所に何度も行けることが、長い旅の豊かさだと気づいた。桜島へのフェリーには4回乗ったし、気に入った鶏飯の店には3回通って、最後には店主さんに「また来てくれたんですね」と言ってもらえた。そのひとことが、どんな観光地よりも嬉しかった。
何より、夫とゆっくり話せた時間が宝物になった。東京にいると、同じ屋根の下にいても、それぞれの日常に追われてなかなか腰を据えて話せない。でもこの1ヶ月は、車の中で、温泉の帰り道で、夕食を終えた後で、たくさん話した。
子どものこと、定年後の暮らし、二人でどこに住みたいか、これからどう歳を重ねていきたいか。桜島を眺めながら話すそういう話は、不思議と怖くなかった。むしろ楽しみになった。夫とこうして旅ができることが、私にとってどれほど大切なことか、改めて感じた1ヶ月だった。
業務レンタカーで移動費を抑えられたおかげで、宿と食事には少し奮発できた。霧島の露天風呂付きの宿に泊まれたのも、鹿児島市内で黒豚しゃぶしゃぶを気兼ねなく注文できたのも、夫が最初にしっかり調べてくれたからだ。
「もったいないからもう一箇所」という焦りなく、「今日はここでいい」と思える日が毎日続いた。それが旅を旅らしくしてくれた。時間もお金も、使い方ひとつで全然違う景色が見えてくるものだと実感した。
1ヶ月の旅を終えて福岡空港でレンタカーを返したとき、夫に「また来たいね」と言った。夫は「もちろん」と即答してくれた。
屋久島は船が欠航で行けなかったし、奄美大島も次回の楽しみに残した。定年したらまた来よう、今度はもっとゆっくりと、そんな話をしながら帰りの飛行機に乗った。
鹿児島の青い空と、桜島の輪郭と、砂むしの温かさが、今でもはっきりと体に残っている。この旅は、私たち夫婦の50代の、大切な1ページになった。そしてきっと、これからの旅の、最初の1ページでもある。